詳しくは『活動履歴』に書きましたが、当会が2013年にNPO法人「総社商店街筋の古民家を活用する会」になるまで、2003年より活動していた市民団体「堀家住宅の利用を考える会」のことを『HORIKE!』という小部数冊子にまとめました。

 部数に限りがあり、増刷の予定もないため、ここに内容を掲載いたします。

 『活動履歴』ページと重複する部分もありますが、右のバーに『年表』もまとめてあります。 

 

 

2003

「堀家住宅の利用を考える会」のはじまり

 総社の商店街には空き家が目立ちます。その中に総社宮の門前にひときわ目につく大きな町家がありました。
 かねてより商店街の空き家を活用できないかと考えていたので、その家の持ち主を調べてみたところ、元の持ち主である堀堅三氏より市に寄贈されたものと分かりました。
 そこで市にお願いをして許可をもらい、当建物(堀家住宅)を2003年3月、見学することになり、そして当時活動していた「ふるさと創生仕掛け人塾」のメンバーに話をしたところ、会を立ち上げ、その建物を活用できるように運動しようということになったのです。
 これが「堀家住宅の利用を考える会」の成り立ちです。(金丸由記子)

 

 

 

「堀家」とは

 堀家は総社宮の神職として仕え、江戸時代後期には「志保屋(塩屋)」という屋号で酒等の売買、両替商、回船問屋を営む豪商だった。また、備中松山藩の御用商人にとり立てられ、商人でありながら、名字帯刀を許された。

 堀和平安郷(ほりわへいやすさと)は一八四一年(天保十二年)堀家の四男として総社に生まれる。明治時代初頭、いち早く洋画に興味を持ち、独学で油絵を学び、岡山県洋画界の先駆者とも
いわれ自宅裏の長屋門の二階をアトリエとしていた。
  総社出身の吉冨朝次郎(よしとみあさじろう)、同じく総社出身の満谷国四郎(みつたにくにしろう。堀家とは親類)にも多大な影響を与えたと思われる。
 長兄和助安道は(一八二九~一八七五)は、明治維新の時に総社宮の神職に選ばれ、代々続いた家業を和平にゆずる。幼年から学問を好んだ安道は、「吉備国史補」「総社記」など多くの本を書き残し、総社宮の県社昇格にも尽力した。またそれまで学校がなかった総社に、明治五年、成章校(せいしょうこう 総社小学校の前身)の開設を県に願い出た中心人物でもあった。
 和平は、この業績をたたえ、安道の死後、彼を祭る香屋(かや)神社と顕彰碑を総社宮参道に建てた。

 安道の墓所は、岡山県立総社高等学校西側にある。

 

 

 そして「初見学」!

 立ち上げの日、20名ほどの会員がまちかど郷土館の一室に集い、立ちあげ宣言と自己紹介の後、皆で堀家の見学へと移りました。
 堀家の二棟の倉が覆いかぶさる様な細い路地から、裏戸側の庭より入って行くと、3月の寒さもあり雑草はほとんどなく、整然と並べられた踏み石、今では中々見られなくなった立派な井戸、その底には水が見えている。滑車の音が夏場の冷たい水を想像させ、この庭だけでも当時の繁栄ぶりが見えてくる思いがしました。
 裏戸を開けて中に入ると、一歩目から強烈なカビの臭い、湿気の臭い、埃もないのに埃の臭い、靴をぬいで上がれるような状態ではなく、積った塵は靴の足跡をきれいに作ってくれている。カビの臭いは家全体から発しているようでした。表玄関へと廻れば、2間の間口、大黒柱と太い梁がベンガラで塗装されている、ここが帳場ではなかろうかと想像されました。そのまま2階へ上ると、倉庫なるものか、使用人の部屋か…。この異臭から逃げ出したいという気持ちと、この家で、どういう方がどういう商売をしながら住んでいたのだろうか、今この様な家を建てるとしたら、どれ位の費用がかかるのだろうか。先人の残してくれた財産を後世へ、伝える事ができるであろうか。そんな想いが湧いてきました。どうしたら良いのか、迷いながら、そして息苦しさを感じながら、堀家を後にしました。

 私がこの会にかかわることになったのは、地元の方々と知り合いになれる、地元の方と一杯飲む事ができるかも、そんな不純な気持ちを持ちながらでしたが、古民家には多少興味があったので、昔の家で何ができるのか考えていました。芝居、落語、紙芝居(この家にあった話)の会場。子供達との話の場。本の読み聞かせ。写真撮影会。13項目ほどのそれは、まだ見ぬ「堀家」を夢想してのことでした…。  

(出口 和弘)

 

 

 総社まちなみ再発見フォーラム

 2003年9月頃、建築士による堀家住宅の現況調査を行う。以後、随時調査を続けている。

 その後、堀家の事を皆に知ってもらいたいと2003年の11月9日シンポジウムを開催。総社まちなみ再発見実行委員会を主催に、岡山県立大学横田研究室と堀家住宅の利用を考える会が協賛、総社市が後援というかたちで「総社まちなみ再発見フォーラム」として古い商店街の写真・地図や貴重な資料、堀家関連資料の展示のほかに、コンピューター上で古いまちなみを再現し来場者がバーチャルにまちなみを歩くなどの試みもおこなわれ、その最終日に谷義仁氏(建部文化センター館長・元岡山県建築士会会長)の基調講演を開催した。

 

 

2004

 堀家住宅の利用に関する提言書、総社市に提出

 2003年11月に行われたシンポジウムの成果と、会発足以来定期的に続けてきた勉強会の成果を踏まえて、堀家住宅の利用提言書をまとめました。建築士が作成したたたき台をもとに
会員の熱心な討議によって最終的な提言書「総社市・堀家と旧市街地への構想計画」(A3版**ページ)としてまとめられ、2004年2月26日、当時の竹内市長に提出しました。
 提言書は、堀家住宅の利用提言を中心にしましたが、堀家の利用と隣接するまちかど郷土館の利用を一体的に考えるべきであるとの立場から、まちかど郷土館の利用の提言もおこないました。また、堀家の活用は宮筋商店街が元気になることが大きく関係していると考え、商店街の中心にあるカルチャーセンターや商店街の今後の在り方についても提言を行いました。提言の概要は次のとおりです。
1 堀家
 ・主屋は、町家・町並みミュージアムとする。
 ・付属する長屋門、蔵は、堀家記念館および付属ギャラリーとして活用する。
 ・主屋、長屋門、蔵とも、町家の歴史的景観を継承する。
2 まちかど郷土館
 ・ハイカラな洋館の雰囲気を生かす利用を心がける。
 ・1階はカフェとして再利用
 ・2階は備中売薬資料室および洋館資料室とする。
 再生した堀家、まちかど郷土館は隣接する総社宮と一体となり、魅力ある
 歴史的文化ゾーンをかたちづくるだろう。
3 カルチャーセンター
 ・1階部分を、情報化社会という新しい時代に対応した、文化創造活動の 
 行える場所として再利用をはかる。
4 町並み
 ・「大正から昭和初期の雰囲気を残すまち総社」を共通イメージとして
 町並みを整える。

 

 

「総社宮へみにこん?祭」

 「総社宮へみにこん?祭」は、2004年2月に「堀家住宅の利用を考える会」が総社市に提出した提言書内容の実現例のひとつとして、福武文化振興財団・岡山地域貢献センター・総社市教育委員会による助成のもと、2004年9月23日から26日までの4日間、「堀家住宅」に隣接する「備中国総社宮」を会場として行われました。また「みにこん?祭」の一環として、総社宮境内全体ほかを展示スペースとした屋外作品展も同時開催(会期:9月5日~26日)されました。

 会期中は、雅楽・オカリナ・ジャズなどの演奏会やワークショップ、回廊を使用した総社の古い時代の写真展示、夜には境内や庭園内の池にろうそくや「浮きぼんぼり」をもちいた灯りの演出などのプログラムが行われ、静かな華やぎをもたらしました。なかでも「浮きぼんぼり」による池での演出は、それまでの総社宮になかっ たものだったため、近隣住民の方をはじめ多くの人の目を引いたようでした。またサックス奏者とディジュリドゥ(オーストラリア先住民の民族楽器)奏者による競演には、地元高校生なども興味深そうに聞き入っていました。

 

 

 岡山洋画界の先駆者ともいわれる「堀和平」をしのんで行われた屋外作品展には、県内外の小学生から70代までの50名を越す参加者があり、地元作家による木工・染色・陶芸・織・きり絵などの工芸作品、県立総社南高校在校生の油絵、美術・デザイン系大学の学生による平面及び立体作品、関西在住作家によるコンセプチュアル・アート、写真、いけばな、書など個性豊かな作品が、総社宮内のさまざまな空間とリンクしながら観客を楽しませました。
 屋外作品展については、総社宮境内というオープンスペースでの開催ということもあり、セキュリティの問題・悪天候に対する対処の問題など主催者として反省すべき点もあったものの、参加作家・観客ともおおむね高評価でした。      (平田敦司)

 


2005

 れとろーどの第一回となる「れとろーど‘05」 にて、 堀家住宅とまちかど郷土館のライトアップを行う。「昔なつかし写真展」も同日開催。


2006

 本年度かられとろーどで堀家を公開できるようになり、「堀和平展」として、初めて堀家にて和平作品の複製を展示。
 「昔なつかし写真展」をまちかど郷土館にて開催。

 

 

 

 

 

 

 堀家前で水飴を販売し好評を博す

                                                                                              昔なつかし写真展、夜のライトアップの様子

平田敦司彫刻作品

昔なつかし写真展の垂れ幕を作る

堀家の庭を眺めてひとやすみ

複製和平作品を額装

総社の古い写真を複製し
展示可能にする作業


堀家における和平作品(複製)展示について

 堀家の会では、総社市に寄贈され、空き屋のままになっている堀和平の生家で和平作品を展示し、一人でも多くの方に観て頂きたいという思いが以前からありました。
 倉敷市立美術館収蔵の実物を展示するのが本筋なのですが、貴重な作品の維持管理にリスクが多すぎる為、やむなく美術館の許可を得て複製を作成、展示をさせて頂く事になりました。
 堀和平生家以外の展示場所を検討すれば、複製ではない、実物での展示も可能だったかも知れません。しかし、私たちは和平の生まれたこの地この場所で一人でも多くの方に和平作品を観て頂きたかったのです。
 それに合わせて、総社小学校が所有されている天神像と和平と関わり合いの強い満谷国四郎の作品一点も複製をとらせて頂きました。
 この展示会に関ったスタッフは、複写を担当させて頂いた私を含め、堀和平の実物を見せて頂いています。それらを見て確信をもって言えることは、「本物はすばらしい」ということです。私たちの試みた複製での展示では本物の魅力に迫ることは困難ですが、和平という人の仕事に関心を持って頂く機会になればと願っています。
 そしてこの展示会を契機として、堀和平という人物に興味をもち、彼の本物の絵にふれる機会が出来ればとても素晴らしいと思います。

 この展示会を開くにあたり、ご協力いただいた倉敷市立美術館・総社小学校・岡山理科大学専門学校・最相氏にお礼申しあげます。         (石本 均志)

 

 

2007

「れとろーど‘07」参加。
堀家住宅を修景のうえ「堀和平展」開催。

「昔なつかし写真展」は旧呉服店にて展示。

 旧仙石邸(現 太一や)を改修の上、岡山県立大学、岡山大学、倉敷芸術科学大学生有志及び総社市立総社幼稚園園児による企画展覧会「夢が原動物園」に全面的に支援と協力を惜しまなかった。このとき、手前の座敷では昭和の家具の上にも展示され、この年は「昭和の家展(30年代展)」は展示されなかった。

 

平田敦司彫刻作品

堀家修景作業

定例会議

仙石邸改修作業


2008

 「れとろ-ど‘08」は、堀家で虫食いが見つかり、れとろーどでの公開が危ぶまれたが、市が柱を入れる修復を行い、一般公開が可能となった。
 しかし、予定していた美術工芸作品展は旧山室金物店の店舗及び住居部分にて開催された。
 「昭和の家展」旧仙石邸にて開催。
 「昔なつかし写真展」は総社宮の回廊にて開催。

        水あめ屋の看板娘


2009

 「れとろーど‘09」は「堀和平顕彰展」として美術工芸系の堀家会員が和平の作品に対応した新作を発表。
 「昭和30年展」「昔なつかし写真展」とともに、堀家オリジナルグッズと、工芸作家の作品販売を旧山室金物店にて開催。

 

 

和平君エコバッグなどのグッズも販売

 

 

オリジナルカンバッジが入ったガチャガチャも登場


2010

 3月、ワークショップとして「和平味噌」と名付けて“手前味噌”を仕込む。

 

 8月れとろーどでの堀家の周知はともかく、れとろーどに来たことがない総社市民にも堀家を知ってもらいたいと天満屋ハピータウンリブ21総社店にて、和平作品と堀家住宅の紹介と資料の展示及び総社市内の古い町並み写真の展示と、美術工芸作家の堀家会員による作品販売及びオリジナルグッズの販売。

 9月「れとろーど‘10」参加。
 旧山室金物店の総社商店街に典型的な店舗兼住宅を“路地裏横丁”に見立て「懐路(れとろ)横町」と名付けて射的や駄菓子屋など様々な懐かしい雰囲気の販売ブースを設けた。

こども達に人気の駄菓子屋。


 

 

 最奥部に横町の守り神として、寅の張り子「れとら様」を設置することによって「門前町」の様相を得た。

 

 

 お茶席として使用された堀家住宅の一部に堀家住宅及び堀和平に関する資料を展示。

 12月、正月の厳かで華やいだ雰囲気をと、門松を制作し、堀家などに設置した。